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2014年第一回目のマル激で、東浩紀さんとお話ししました。宮台発言を抜粋します。

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2014年第一回目のマル激で、東浩紀さんとお話ししました。東さんは3.11の福島第一原発事故以降、チェルノブイリも視察され、福島の「観光地化計画」についてさまざまな案を出されています。宮台発言抜粋。全体は『サイゾー』発売中の号で御覧下さい。

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宮台◇ 東さんがこういう方向[福島観光地化計画のこと]で議論をされるというのは、意外な展開でした。現状批判的であると同時に、未来思考的です。

宮台◇ 東さんの議論が興味深いのは、「政府は何をやっているんだ」という巷によくある批判とは違って、復興に向けて、市場のメカニズム、つまり市場インセンティブを、効果的に使おうと提起していること。つまり、損得勘定をうまく利用しようと言うのです。
 人は福島を忘れたら損をするのであれば、忘れられないし、逆に覚えていることが得だったら、覚えています。日本では嫌われやすいタイプの議論ですが、この計画・デザインは本当に素晴らしいと思います。

宮台◇ 僕の戦略も似ています。年末に上梓した『「絶望の時代」の希望の恋愛学』を含めた「男女素敵化計画」のテーマは、「〈自発性〉=損得勘定から、〈内発性〉=損得勘定を超えて内から湧き上がる力(徳virtue)へ」です。
 昨今は〈内発性〉を持つ者が少ないので、〈自発性から内発性を生み出す〉ワークショップを行うのですが、出発点では「〈内発性〉を持つほうが得、なぜなら、システムを頼れない災害時には、絆を持つ者だけが生き延びるが、絆は〈内発性〉なくして生まれないから」といった具合に、ワザと損得勘定の〈自発性〉を用いて、人々を動機づけるのです。

宮台◇ [昨今の状況を]一言でいえば、「貧すれば鈍する」でしょう。冷戦体制終焉後のグローバル化が何をもたらすのかが、世界規模で自明化しました。賃上げ要求や増税要求があれば本社や工場を移転すれば良いので、格差化&貧困化を放置、〈社会がどうあれ経済は回る〉状態になります。
 すると人々は不安化&鬱屈化しますが、それを利用した〈感情の釣り〉によってポピュリズムを駆動すれば、再配分などの手当をスルーでき、〈社会はどうあれ政治は回る〉状態になります。
 面白いのは、実はそのことが大衆規模で自覚されていることです。にもかかわらず〈感情の釣り〉に釣られまくる。大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」です。保守回帰とは、保守への回帰でも何でもなく、実際にはこうした〈感情の劣化〉です。
 新聞的に穏当に言えば「この社会は希望がないから、今ある権益にぶらさがって行ける所まで行こう」というニヒリズムですが、実際は「自らの劣情への屈服」です。民主党政権への失望が引き金を引き、「いっとき夢を抱いたこともあったが幻だった」という具合になりました。

宮台◇ 特定秘密保護法も日本版NSCも「アベちゃん問題」に過ぎません。安倍総理の命令で行政官僚が法案化したもので、その際に「その他」の文言に代表される霞が関文学による権益拡張への企図が盛り込まれたというだけです。
 これは、ハンナ・アーレントが、アイヒマン(600万人のユダヤ人をガス室送りにしたとしてイスラエルに捉えられ裁判にかけられた)に見出した「悪の凡庸さ」問題そのものです。批判している連中の大半でさえ、仮に自分が内閣調査室や警察庁の官僚だったら同じように振る舞うはずだぜ、というのがアーレントの卓見です。
 そして安倍総理はといえば、驚くべき教養のなさや独りよがりが有名なものの、アベノミクスで支持率が高いうちに分裂した印象を与えたくないから周囲も黙っている、というだけの〈巨大な空洞〉です。だから“アベちゃん問題”をパラフレーズすれば、〈ヒトラーなきアイヒマン問題〉なのです。アーレントに倣って言えば、ヒトラー批判と同じく、安倍批判ではどうにもなりません。

宮台◇ 日本で経済的将来予測を一番真剣に行なうのは投資家あるいは金融機関です。そういう方々が「もう無理だな」と判断したら国債と通貨を売り浴びせにかかります。ジョージ・ソロスも日本が長期的には「売り」しかなく、いつ「売る」かの問題だとしています。そうなれば国債と通貨が暴落して、日本人の多くが市場&行政という巨大システムに依存できなくなります。
 僕が『希望の恋愛学』に絡む一連のプロジェクトをやるのは、それが見通せるからです。巨大システムに依存できない時代が来たときのために、どう備えるか。お金を貯める、つまり外国預金の選択肢もありえますが、預金の余裕がない人は「持つべきものは友達」しかありません(笑)。この場合「友達」とは損得勘定抜きで助けてくれる者の謂いです。

宮台◇ ネットは参加を容易にします。だからこそ米国で話題になった「ブッシュJrを当選させた南部・高卒・白人」問題が象徴するように、〈感情の劣化〉問題が民主政治を直撃します。だからギデンズが「感情の民主化」を語り、ローティが「感情の教育」を語り、サイバー・カスケイド問題で有名になったサンスティーンが「二階の卓越主義」を語ります。
 東さんが心得るように、ネットの集合知も、それをアグリゲートし、参照する「二階の卓越者」抜きには機能しないのです。ことほどさように、昨今は全てが〈感情の劣化〉問題につながります。
 “アベちゃん問題”にも、〈感情の劣化〉問題としての側面があります。性愛に例えると、安倍総理は愛情を履き違えた〈粘着厨〉の類です。僕が繰り返し持ち出す頭山満のごとき真の右翼であれば、〈自国に愛国者がいるなら、相手国にも愛国者がいる〉事実を弁えます。自分が憤る事柄と等価な事柄で相手も憤り、自分が宥和する事柄と等価な事柄で相手も宥和する。そのことを弁えるから、諸般、手打ちが可能になります。
 ところが、安倍総理の類は、相手国を鬼畜呼ばわりするだけの出来の悪い水戸学派。自分の感情を表出するだけなので、関係を壊した上に、手打ちによる落とし所を失います。落とし所を失えば、戦争でアベノミクスの成果が灰燼に帰するかもしれません。
 自分の感情を表出するだけの〈粘着厨〉が、ストーカー行為を通じて恋愛を実らせる可能性は0%なのに、ストーカーを続けますが、よく似ています。ちなみに、〈自分に人格が宿るなら、相手にも人格が宿る〉事実を弁えない頓馬がストーカーです。
 〈自分に人格が宿るなら、相手にも人格が宿る〉事実を弁えないストーカーと、〈自国に愛国者がいるなら、相手国にも愛国者がいる〉事実を弁えない馬鹿ウヨは、同型です。そして、双方共通して墓穴を掘って終わります。
 問題は、こういう指摘が、エリート主義のパターナリズムとして聞こえることです。指摘が尤もらしいほど「エリートでない俺はそっちの船に俺は乗れねえよ」となって、「〈粘着厨〉の気持ちをわかってくれるのは〈粘着厨〉の“アベちゃん”だけ!」となる(笑)。だからこそ、〈感情の劣化〉につけこむポピュリズムが横行、非合理な政治的決定がもたらされる。全体構図です。

宮台◇ [東さんのゲンロンをめぐるマイクロな試行と同じように]僕も遅まきながら、政治領域では、住民投票や熟議に関するワークショップ活動を行ない、家族領域では、性愛に関するワークショップ活動を行なっています。こうして、〈巨大システムがどうあれ自分たちは回る〉ような自分たちを周囲に作り出す、という小さい話にシフトしています。
 ウェーバーによれば、近代化の本質は、予測可能性をもたらす計算可能化を支える手続主義的合理化にあります。でも、その意味で合理人になると、「悪の凡庸さ」に見るように、主体は入替可能になって尊厳を失います。それを回避するには非合理人になるしかない。それが晩期ウェーバーの結論でした。
 非合理人には、計算合理性つまり損得勘定を超えた「内から湧き上がる力virtue」があります。でもvirtueは---エマソン的に言えば「内なる光」は---国のようなマクロレベルではどうしようもなく、マイクロな取り組みでしか獲得できません。その意味で、「手遅れだから小さい話になる」というより、「原理的に小さい話から始める他ない」のです。それが先進各国に共通の傾きなのです。

宮台◇ ハンナ・アーレントが主張した「悪の凡庸さ」の日本版が、今と同じように(!)戦前戦中にありました。つまり、信念を持って何かを行うのではない。「ビンタをしなければ自分にビンタを喰らう」という〈コミットメントなき同調主義〉だけがある。他方、帝国議会の遣り取りから分かるように、一部ではあるけど、マイクロな圏域では「立派な人」に感染して前に進む時代でもありました。
 ここで大切なのは、日本は血縁主義が存在しない稀な社会であること。生活や仕事の場を共有しして共通前提を構築することでようやく、血縁主義的な絆の機能的等価物を実現できます。でも、このメカニズムは近接性つまりトゥギャザネスに依存するので、グローバル化やIT化がもたらす社会的流動性に極めて弱い。
 その点、ディアスポラのユダヤ人や、ジェノサイドの中国人は、場所性や風土に依存せず、アセットとしての人間関係をひたすらに維持するので、社会的流動性に強く、現にどこの国でも絆を頼って働けます。日本人には無理です。つまり日本人は、社会的流動性の増大で、ひたすら浅ましい存在になりがちなのです。

宮台◇ 〈感情の劣化〉が進めば、それ[あいつは弱者じゃない、本当の弱者は俺だ、といった浅ましき噴き上がり]以外に、鬱屈を調停する原理がありません。

宮台 [浅ましさを克服して]「立派になれ」と言ったって、簡単にはなれません。二つの困難があります。第一に、ハーバーマスの言葉を使えば、損得勘定つまり〈自発性〉を駆動させる「認識(知識)」を超えて、損得勘定を超えた〈内発性〉である「関心」を獲得せねばならないこと。第二に、「関心」つまりコミットメントだけでは適切な現実を作れないので、コミットメントを適切な行動にいざなう「知恵」を獲得する必要があること。
 まず「立派になりたい」という内発的動機を涵養し、次に「立派になる仕方」を弁えるという段取りが必要です。僕らのワークショップもこの二段階を意識しています。入口に当たる「ナンパ講座」で言えば、ベテランと素人の振舞いの違いを映像で見せれば「立派」と「浅ましい」の差異が一目瞭然です。
 すると、多くの人は「立派」になりたいと思います。そう思う人にだけ、「浅ましさ」を克服する知恵を実践的・経験的に伝授します。「浅ましさ」が「相手の承認が欲しくて右往左往するヘタレぶり」に起因する事実を認識させ、ヘタレ克服のための知恵を与えるのです。
 繰り返すと、「浅ましさ」とは、相手への〈理解〉を欠いたまま〈承認〉を追求するがゆえの右往左往です。その典型がストーカー的な〈粘着厨〉です。昨今アメリカのアカデミズムで話題になるように、こうした〈感情の劣化〉が進めば、民主政治は終了します。
 東くんのように自らコストを払い、リスクを賭して、従来のやり方じゃダメだと重大な呼びかけをする人がいる一方で、ピア(同輩)の中で自分のポジションを守るべく右往左往するだけの〈公共的発言をするエゴイスト〉が膨大に存在することが知られています。
 ワークショップをファシリテイトしてきた経験から言えば、その違いは、実は「佇まい」を見れば、残念と言うしかないほど瞭然なんですね。現在の僕自身の実践から言えば、幼児に「この人とこの人、どっちが立派?」と問いかけていくのが有効だという確信があります。

宮台◇ 例えば、東くんがやっているようなマイクロな活動は、小さく見えても、ITメディア社会では意外な波及効果があります。そういう連鎖可能性が唯一の救いかなと思います。将来的にはそれぞれが連携し、効率的な役割分担をし、社会全体に働きかける「戦線」を作る必要があります。でも今はそれを望める段階ではない。まずは個々のプレイヤーがプレイヤー足りうるのかを考えねばなりません。

宮台◇ 同じくワークショップ経験から言うと、多くの人々は、自分たちが〈感情の劣化〉を被っている事実にちゃんと気づいています。でも「分かっていてもやめられない」。そんな彼らを「敵」として〈排除〉してもダメで、〈包摂〉していく必要があります。「オマエは馬鹿だと名指しした後に、馬鹿をやめたいならこっちに来いといざなう」のです。その意味での〈新しい前衛〉が必要だと思います。



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