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『おどろきの中国』についての宮台発言@読書人最新号から抜粋します。

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3月7日の『おどろきの中国』記念イベントで、橋爪さんと大澤さんのトークショーが池袋のリブロでおこなわれました。宮台も出席予定でしたが、別の外せない予定が入って欠席させていただきました。このイベントが週刊読書人の最新号に掲載されます。宮台は補足インタビューという形で参加して、疑似的な鼎談にすることにしました。宮台部分を抜粋します。大変に面白い全体は、週刊読書人の最新号(3月22日金曜日発売)に掲載されます。

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【宮台】僕の親族は元々中国と関わりが深いんです。戦間期から終戦まで母とその家族は上海のフランス租界で暮らしました。当時のフランス租界では無呼吸潜水記録保持者だったジャック・マイヨールやSF作家のJ・G・バラードが子供時代を過ごしていた。僕は中国の話を母や祖母から聞いています。犬と中国人は通るべからずの看板。日本兵が支払の際に手渡しせず地面に放り投げると中国人がぺこぺこしつつ拾う話。日本の兵隊が中国人を並べて銃剣で撃ち殺す場面を見た話。日本兵が中国人の首を銃剣ではねて頸動脈から血が噴出したのを見た話。
 ずっと二つの疑問を抱いてきました。第一に、当時の日本は何なのか。第二に、当時の中国は何なのか。後者は、第一次大戦前に同胞がスパイ容疑で処刑されるのを中国人が喝采したフィルムを見た日本留学中の魯迅が激怒したことに関わる。そんな疑問が解ければと思って中国を訪れました。疑問はむしろ深まりました。疑問について橋爪さんに逐一うかがえたのは良かった。橋爪さんの答えがクリアカットな分、しかし疑問がより焦点化されました。
 驚きの質については本書の冒頭で述べた通り。片側六車線道路を歩行者が横も見ずに平気で渡る。車は直前で人を回避して走る。歩行者が車を気にして立ち止まると轢かれて死ぬと言う。実際皆が同じように振る舞う。橋爪さんの言葉でいえば「生存戦略」です。これは直ちに原理的な驚きにつながります。
 秩序は価値や規範や制度によって成り立つ。それが社会学の標準的発想です。ところが生存戦略は規範や価値じゃない。ゲーム理論の均衡点です。中国的秩序を与えるのは規範や価値よりも均衡点です。むろん中国にも規範や価値があります。儒教がそれです。でもかかる生存戦略への自覚が、規範や価値の前提です。本文で僕が使った言葉では「均衡点への再帰的観察」。
 生存戦略は特定の誰かが作り出したものじゃなく、制度や価値のようには変えられません。新たな価値に従って行動を変えた途端、生存できなくなるからです。価値でなく均衡。規範性でなく事実性。価値や規範があっても均衡の事実性が前提になる。それが中国の本質です。そんなふうに巨大秩序が成り立ってきたことが最大の驚きです。社会学が想定する西欧とは違う。
 それが「中国とは何か」に関わります。今回の対談で大澤さんが出した「中国人がどうして歴史を大切にするのか」への回答も与えます。大澤さんの疑問には正統性論の観点から回答を与えるのが標準的です。中国の場合「なぜ歴史が正統性を与えるのか」に踏み込ないと答えになりません。僕の考えでは「均衡への再帰的観察」がポイントです。これは後で述べます。
 第二の驚きは租界。天津と上海の旧租界を見ました。戦間期の風情が強く残っていた。旧英国租界にはかつての荘重な英国風建築群が残り、新たな建物もファサードを合わせる。フランス租界もドイツ租界も同じ(ドイツ租界は天津のみ)。帰国したら日本の都市風景が貧弱に見えました。東京にも高層ビルも首都高速もあります。でも中国の高層建築は敷地面積が遙かに広くて装飾も華美。道路も片側六車線が当たり前。天と地の違いです。
 中国にも貧しい場所があり、都市にも貧しいエリアがあります。でもワンブロックごとに高い壁で囲われた邑(ゆう)になっていて、日本みたいなバラックじゃない。言い換えれば、貧困地域を含めた街の隅々に、歴史的に堆積された権力の働きや帰結を感じます。日本では街には権力の働きや帰結を感じることがなく、その分頼りない。
 戦前の亜細亜主義者が租界地に入って抱いたのも同じ感覚だろうと想像しました。近代化面で中国は貧弱でしたが、中国の歴史が与える力を---歴史的に堆積した権力の痕跡を---亜細亜主義者は身を以て感じたことでしょう。19世紀になるまでは中国は四千年間以上も世界で圧倒的に強大であり続け、経済や文化の中心だった。その巨大なリソースが全て失われたはずがなく、中国を蔑ろにして日本だけ先に進めると思えるのは僅かな期間に過ぎない、と。旧租界を見てそうした感覚を共有できた気がしました。

【宮台】[中国とは何かについて]日本と対比しましょう。まず日本人のナショナリティ(日本人性)の根幹がどこにあるのかが不明確です。国籍、習慣、文化、血縁、言語など人によって意見が分かれる。一般に他国では法定条件を満たして国籍を取得すれば終わりです。日本の場合「そろそろ彼も日本人らしくなった」と皆が感じるだろうと皆が思うようになることが必要で、何を満たせばそうなるのか未規定です。この「皆」の範囲が日本なのです。
 他方、中国人の同一性も、本書冒頭で話した如く、多民族で契約的共和もなく帰属意識も低くて不明確です。僕の考えでは、前述のように再帰的に自覚された生存戦略に従う者たちの範囲が中国。具体的には、最も力(ゲバルト)を持つ者に皆が従うだろうと皆が思う、「皆」の範囲が中国です。皆が感じると皆が思うことを前提にする営みが日本を与え、皆が最強ゲバルトに従うと皆が思うことを前提にする営みが中国を与える。空気の支配・力の支配の対比です。
 だから中国史を振り返ると、ゲバルト闘争を通じて勝ち残った最強者がいつも必要とされていることが分かます。最強者が不在だと皆が何を前提にして行動したら良いか分からなくなります。ただしゲバルト常態化のコストを縮減すべく補助的正統化装置を用います。天命概念や帝位の血縁継承です。でも正統化装置はいわば事後的で、出発点は飽くまでゲバルトの事実性。
 こうした順序ゆえに「支配の歴史」が重要です。単なる歴史でなく、ゲバルト史です。様々な夷狄が征服され服属する歴史であり、夷狄が中原をゲバルトで収めて王朝を交代させる歴史です。ゲバルト史を参照するから、一部周辺国は三献の礼の如き儀礼を通じて、ゲバルトで征服される前に朝貢関係に入ります。かかるゲバルト史への再帰的認識が中国の範囲を決めます。
 日本でも、誰もが従うと誰もが思うことを前提に振る舞うことがあります。でも中国では、誰もが従うと誰もが思うことを前提に振る舞うには、ゲバルトが必須です。日本にはゲバルトが必要ありません。そのことを天皇制が示します。漢字の共有範囲が中国だという俗説も違います。それは飽くまで結果です。ゲバルト最強者である皇帝が、言葉や文化や価値の違う領域を支配するツールが漢字。ゲバルト史の事実性なくして漢字はあり得ません。

【宮台】[中国が歴史を尊重する理由については]歴史は一般に、行動の妥当性や正当性や、地位の正統性を証明すべく、参照されます。中国はゲバルト史が重心です。魏と呉と蜀の三国志。どんな展開を経て、誰が勝ち残り、誰が殺されたか。その果てに現在のゲバルト頂点があるとの理解があります。西洋的にいえば正統性の弁証に似ますが、少し違う。出発点が人間同士のゲバルトだからです。
 似た面を持つのがヘブライズム。ヘブライズムでは神のメッセージを伝える預言者に象徴されるように正統性の源泉は唯一の絶対神。王は預言者の言葉を通じてヤハウェの意志を蔑ろにしていないか気にする。さもないと滅ぼされるからです。滅ぶといいましたが、そこにあるゲバルトをヤハウェが源泉だと理解するのです。旧約聖書に示されるように、ヤハウェが契約に背く者ものをどう処遇してきたかが歴史を構成するのです。
 ヘレニズムはまた違ったロジックですが、やはり一部中国に似る。紀元前12世紀から9世紀にかけての「暗黒の四百年」。先住移民アカイア人と後続のドーリア人の闘争で殺人・強盗・強姦・放火が日常化し、ギリシア神話に書き留められます。僕の言い方では「〈世界〉はそもそもデタラメである」との認識の伝承。紀元前8世紀のホメロス叙事詩も同機能を担います。
 これら伝承が、都市国家連合の形をとる理由や、ソクラテスがエジプト的と表現した絶対神依存を敵視する理由や、不条理にひるまず前に進む在り方が肯定される理由を述べ伝える歴史になる。ゲバルト闘争が出発点なのは中国に似ますが、現在のゲバルト頂点への帰依に繋がらず、ポリス内ではゲバルトを否定したガバナンス賞揚、ポリス間では戦争の賞揚に繋がります。
 中国でもヘレニズムでもヘブライズムでもゲバルトとの関係で歴史が重視されます。ゲバルト回避のための知恵の参照だからです。日本は違う。天皇制成立以降、現実にはゲバルトが存在しても伝承では抑圧される。歴史の時間軸より、空気の空間軸が参照される。先に述べた通り空気も事実性だけど、歴史と関係ない事実性です。天皇帰依は、万世一系に象徴される如く、歴史を抑圧した疑似血縁的な継承線に基づきます。結局日本で歴史と言えば、娯楽としての偉人列伝に過ぎず、オタク的な知識競争に過ぎない。大学入試での歴史の試験が貧困な理由です。

【宮台】[中国の政治体制の特徴については]これも日本と比較します。本書で述べなかったことです。日本は行政官僚制が肥大します。中国も行政官僚制が肥大します。日本は行政官僚制を基盤に1955年から高度成長を遂げました。中国も行政官僚制を基盤に1978年から急速な近代化を遂げました。日本は天下りなど既得権益の温存ゆえの非合理的政策決定がある。中国も腐敗や汚職や賄賂による非合理的政策決定がある。似ています。でも決定的な点が違う。
 日本の行政官僚は普段は政治家を参照せず、逆に政治家をコントロールできると思っています。だから直ちに二つの問題が起こります。第一に、省庁間の壁を越えねばならない事態が生じた際、越えられない。第二に、非常事態の際、ルーティンを越えられない。今に始まった話ではないけれど、両方とも東北が現在直面している問題です。
 昨日まで陸前高田にいました。更地のまま全く復興していません。震災と津波災害が違うからです。震災は復旧で足りるが、津波は復旧じゃ足りない。原発災害と同じく元の場所に住めず、街の構造替えを伴う復興が必要だからです。高台移転も道路付替えも港湾設備変更も新産業誘致も必要で、どれも中央官庁の許認可が不可欠です。ところが許認可に半年以上かかる。
 本来なら、阪神淡路大震災を機に震災復旧を念頭に作られた災害特措法と別に、津波災害からの復興を念頭に置いた特措法を作るべきですが、政治家が何もしない。また、被災した市町村の首長が許認可の迅速化を陳情に行くと、大臣が横にいる役人に「できるか?」と尋ねて役人が「できません」と答える。確かに平時を前提にすれば前例参照というルーティンゆえにできないのは分かります。でも今は緊急時。大臣が役人に「俺が全ての責任を取るから、前例がなくてもやれ!」と命令するべきです。そう、田中角栄のように。
 たまに角栄の如き政治家も出てきます。でも個人的資質に依存します。中国は違う。資質を持たない人は政府や共産党のトップになれません。行政官僚は、政府トップの国家主席や首相、共産党トップの総書記に、自分がいつ粛清されるか分からないと怯えます。トップが強大なゲバルトを具備した武装警察を含む公安部を掌握しているのも大きいです。
 要は、日本の行政官僚制は非常時に舵を切れません。中国の行政官僚制は舵を切れます。中国の共産党独裁体制が有する優位性です。平時には日本の方がマシに見えますが、非常時には中国の優位性が際立ちます。グローバル化を背景に、内政では格差化・貧困化が拡がり、外交では国際情勢が不穏になりがちな今日、この差はますます重大になります。
 
【宮台】[日中間の政治問題については]天津の王輝先生はこう仰いました。年長世代は驚異や畏怖を含めて日本をリスペクトし、日本と戦略的互恵関係に入れば互いがウィン・ウィンで共栄できると考える。だが年少世代は、中国が日本の遥か後塵を拝した時代を知らない。年少世代が社会の主導権を握りつつある中、年長世代は日本をかばい切れなくなった。なぜか。日本が歴史を忘れるからだと。
 またもや歴史です。尖閣問題は前原問題です。日中共同声明・鄧小平宣言・日中漁業協定で、(1)主権棚上げと(2)日本の実効支配(施政権)を確認し、実際中国漁船が侵入しても停船要求でなく退去要求をし、退去しない場合に停船させても逮捕起訴図式を用いず拿捕強制送還図式を使ってきた。それを前原国交大臣が勝手に放棄した。前原には中国政府と日本国民への説明責任があります。でも日本国民も協定積み上げの歴史を覚えていません。
 当時の仙谷官房長官がボールは中国にあると述べたら、中国の外務報道官華春瑩がボールは一貫して日本にあると苦笑しました。協定を破った側にボールがあるに決まっています。こんなに頓珍漢な日本とどう駆け引きをして「手打ち」に持ち込んでいいか分からない---これが「もうかばえない」の中身です。王輝先生の言葉がずっと頭に残りました。
 日清戦争後、中国から多数の留学生が日本に来ました。中国にとって近代日本は見本でした。呼応して日本の亜細亜主義者は、中国近代化が列強の脅威に抗う日本の将来に不可欠だと思っただけでなく、中国人を亜細亜同胞だと思った。日本の右翼結社黒龍会の活動なくして中華民国成立はなく、中華民国成立なくして中華人民共和国の成立もなかった。そのことを日本人は記憶に留めるべきです。中国のインテリが覚えていて日本のインテリが忘れているのは、国辱的です。

【宮台】[本書で言えなかった結論を言うと]中国訪問と橋爪さんと大澤さんとの鼎談を通じて、日本は社会も国家も貧弱だという思いを強くしました。国家面では、行政官僚制をコントロールできる強大な政治権力を樹立できない。社会面では、空気を乗り越えることができない。強大な政治権力のある中国は、非常時に行政官僚制を制御できる。ゲバルトを参照する中国は、意図的に人々の行動前提を変えられる。日本は行政官僚制を制御できず、人々の行動前提(空気)を変える仕方が分からない。
 重大問題です。中国は、鄧小平の南巡講話以降の近代化のスピードは凄かった。日本も敗戦後の復興スピードは凄かった。両方とも行政官僚制を背景にします。でも、日本の行政官僚制は空気を背景にし、中国の行政官僚制はゲバルトを背景にします。空気は制御できませんが、ゲバルトは制御できます。実際に共産党が公安部を制御します。だから非常時に日本は頓珍漢な動きをし、日本をリスペクトする中国のインテリ年長者が溜息をつく。惨めな始末です。
 両国の経済成長に見るように、平時は日本も中国と同じく政治が行政官僚制を制御できるように見えて、非常時になると日本だけが行政官僚制を制御できません。これは平時も行政官僚制を制御できていないことを意味します。原発災害と震災復興で露わになりました。
 今後はグローバル化を背景に内外の環境はますます流動的になります。非常時の常態化です。そのとき日本は行政官僚制をコントロールできず、人々の行動前提もコントロールできません。中国は両方コントロールできます。だから中国は生き残り、日本は生き残れない。軍事的要因でなく、社会的要因によって生き残れない。そんな確信をもって中国から帰国しました。あまりに暗い結論なので、本書では三人ともそこまで言えませんでした。この場ではあえて挑発的に申し上げます。

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